「小学生の時は、遊びも勉強も大事したい‼」
受験のレールにはのせないで、ノビノビと子どもを育てていました。
しかし、自分の子どもはあまり勉強が得意ではないことは分かっていました。
そこで小学生のときから塾に通わせていました。
そして中学生になり…。
はじめて実力テストを受けると数学の偏差値が24。
そんな子どもが3年後に新宿高校・中央大学杉並・明大中野・法政第二を合格することになります。
偏差値24から「どのように難関校に合格できる力をつけたのか?」
取組みや成績の移り変わりを紹介します。
卒業生のビフォーアフター
偏差値
定期テスト
通知表
東都ゼミナールにした理由
きっかけはお兄さんが東都ゼミナールの卒業生だったことから始まります。
お兄さんの受験が終わった時、この子どもは小学4年生に上がるタイミングでした。
お母さんは長男に関して勉強面にそんなに心配していませんでした。
しかし次男に関してはかなり不安を持っていました。
知識の定着や勉強の習慣をつけるのに時間がかかる子どもだから、今から準備をしておこうという目的で4年生の時に東都ゼミナールに通うようになりました。
5年生に上がるまで通った後、別の塾に移りました。
理由の詳細はわかりませんが我々の対応に落ち度があったのだと思います。
小学校6年生に上がるタイミングで塾に電話がかかってきました。
6年生から始まる英語だけ受講したいとのことでした。
6年生の間は東都ゼミナールで英語を受講。
別の塾で算数・国語を受講するという一年間を過ごしました。
中学1年生に上がるタイミングで算数・国語を受講している塾を辞めて、東都ゼミナールに一本化しました。
理由は中学生になると忙しくなるため塾の掛け持ちはスケジュール的に難しくなるからということでした。
なぜ東都ゼミナールの方を選んでくれたのかは分かりませんが…。
「中学生だったら東都ゼミナールが良いと思っていた。」ということは言っていました。
プロセス
中学1年生
3月に中学準備講座・3月下旬~4月上旬に春期講習。
その期間、東都ゼミナールでは中学生の先取り授業を行います。
春期講習が終わり中学校の入学式があります。
そして塾の1学期通常授業が始まります。
その初回授業では英・数・国の3教科の実力テストが行われます。
数学・国語の出題範囲は9割が小学校の復習です。
つまりテストで計測できるデータは「小学生時代の学習内容がどれくらい定着できているか?」
その結果が以下の表です。
科目 | 英語 | 数学 | 国語 | 3科 |
偏差値 | 55 | 24 | 48 | 40 |
英語の授業の様子からは、数学の結果は信じられませんでした。
小学生の時に英語を教えていても、特別頭のキレが良いとか教えればドンドン響いてできるようになるとか思ったことはありませんが、勉強ができない子どもだと思ったことは一度もありませんでした。
標準レベルの学力はあるという認識でした。
しかしテストの結果を見ると…偏差値24。
まずは原因究明をしました。
数学の授業担当者の報告では、すごく優秀という訳ではないが標準レベルの問題はできているし取り組み方も悪くないという話でした。
国語の方が状況としてはあまり良くありませんでした。
知っている言葉の数が少ない。文章を雰囲気で読んでいる。設問にきちんと答えられていないという報告が上がっていました。
次に子どもはから聞き取りをしました。
「小学生の範囲のテストで、小学生のときから塾にも通っていて、なぜこの点数なの?」と聞きました。
すると「塾には行っていたけど、全然勉強していなかった。宿題はほとんど出ないし、授業中も消しゴムを投げて遊んでいた。」と答えていました。
勉強をしなかった本人?勉強をやらせなかった塾?
どこに責任があるのかは分かりませんが、数学ができない原因は小学生時代の勉強不足でした。
中学受験であれば毎週のようにテストがあるため子どもの立ち位置は分かります。
しかし公立中学進学を前提とした塾の場合、実力テストを行う塾は少ないため実際の成果が見えづらいです。
また学校のテストは問題が簡単すぎます。
そのため本当の力が計りづらく中学生になったときに初めて子どもの実力を知るということはよくあることです。
この子どもも同じケースでした。
改善策としては、当面中学生の範囲を勉強を継続して、小学生の時の知識が必要になったら小学生の知識をイチから勉強するという方法で進めていきました。
まずは平均的な成績を目指して、小学校の復習や計算問題を多めに出して基礎トレーニングを多く行いました。
その後の実力テストの結果が以下の表です。
【中1実力テストの結果】
実施月 | 英語 | 数学 | 国語 | 3科 |
7月 | 60 | 50 | 50 | 54 |
11月 | 64 | 61 | 52 | 61 |
1月 | 63 | 55 | 60 | 61 |
2月 | 63 | 51 | 52 | 56 |
徐々にテストの結果も上がっていきました。
夏には初めて全教科偏差値50を超えて、英語は偏差値60に乗りました。
秋になると数学も偏差値が60を超え、3科でも60を超えることができました。
冬には英語は偏差値60が安定して、国語も偏差値60を超えることができました。
1年間で3科目の偏差値が21上がりました。
数学だけでみると最大37も偏差値が上がりました。
中学2年生
定期テスト・学力診断テスト
小学生のときに英語で単語テストは徹底して覚えるまで勉強をさせていました。
そのトレーニングのおかげで、『覚える』ということはできていました。
覚えることが結果を左右する学校の定期テストや標準レベルの学力テストについては順調に成績が伸びていきました。
5月の学力診断テストで偏差値60を超えてから3科合計で60を下回ることは一度もありませんでした。
秋以降は偏差値70に迫る月もありました。
定期テストも前年比ではすべて上がっています。
1年生のときは1科目80点平均だったのが、2年生では1科目90点平均を超えるようになりました。
以下が中2時の学力診断テストの結果と学校の定期テストの9科目の合計点の結果です。
【学力診断テスト】
月 | 偏差値 |
4 | 57 |
5 | 62 |
6 | 62 |
7 | 60 |
8 | 61 |
9 | 69 |
10 | 68 |
11 | 64 |
12 | 62 |
1 | 66 |
2 | 63 |
【定期テスト】
1年生 | 2年生 | 得点差 | |
1学期末 | 716 | 808 | +92 |
2学期末 | 729 | 787 | +58 |
3学期末 | 737 | 818 | +81 |
駿台模試
学年が上がってからは難関校を目指すための勉強にシフトしました。
授業時間が増えると定着させるための課題が増えます。
勉強時間も増えます。
それでも、かならず期日に遅れずに課題をやってくることはしていました。
とくに暗記は自分の生命線。確認テストは毎回ほぼ満点。まちがえても50問中1問というレベルでした。
増えた課題の量をこなすことはできました。
その取り組みで得られる成果は定期テストや学力診断テストでは手に入れることができました。
しかし、勉強の質はとても低く宿題はやっているけど定着するような勉強をしていないという状態が続きました。
標準問題であれば、多少いい加減に勉強をしていても出題パターンが限定的なので問題数をこなすことで問題への慣れで正解できるようになります。
しかし、この取り組み方だと応用問題はできません。
応用問題は基本問題の組み合わせで構成されています。
応用問題を解けるようにするには、基本事項をしっかりと理解して使えるレベルになっていることが必要です。
この子どもは中1のときの成功体験と同じスタイルだと上のレベルでは通用しないことが理解できていませんでした。
これが分かるようになったのが中2の冬です。
取り組み方が変わりました。
改善できた理由は「あきらめず継続した」ということにつきます。
毎週毎週のトライアンドエラーを繰り返すことで少しずつやり方を修正していき、正しい方法と知識を蓄積していった結果、中2の1月の駿台模試で花が開きました。
中1の8月に初めて受けた駿台模試では38.7だった偏差値も中2の1月の結果では57.3まで上昇しました。
【中1・2年の駿台模試の結果】
学年 | 時期 | 3科偏差値 |
中1 | 8月 | 38.7 |
11月 | 44.7 | |
1月 | 52.9 | |
中2 | 6月 | 43 |
11月 | 46 | |
1月 | 57.3 |
こうして中2が終わり中3を迎えます。
中学3年生
1学期・2学期
受験学年を迎え…第一志望を目指して勉強あるのみ‼とはなりませんでした。
なぜなら子どもに志望校がなかったからです。
本人の心の中にはあったのかもしれません。
しかし、それを親に伝えることはしていませんでした。
進路の話をしようとお母さんから話しかけても、あれこれ理由をつけて話をしない。
学校見学に行こうと誘っても、塾の宿題があると言って予定をつくらない。
その状態で春が終わり、夏が過ぎ、秋になり…。
我々が塾で子どもの様子を見ている分には、子ども自身は多くを語らないけど自分なりに少しでも成績を上げて一つでもレベルの高い学校に行こうと思っているんだろうなと思っていました。
実際に勉強は頑張っていました。
その証拠として、1学期の期末テストも2学期の中間テストの結果も過去最高でした。
【3年間の1学期期末テスト結果の比較】
テスト種類 | 1年 1学期末 | 2年 2学期末 | 3年 1学期末 |
得点 | 716 | 808 | 827 |
【3年間の2学期期末テスト結果の比較】
テスト種類 | 1年 2学期中間 | 2年 2学期中間 | 3年 2学期中間 |
得点 | 414 | 430 | 460 |
しかし家での生活は違ったようです。
遅くまで勉強をして朝が起きられない。
何度も風呂に入るように促しても、いつまでも入らない。
「行ってきます‼」などのあいさつもしない。
進路希望の話をしようとしても家族と会話をしないということが続いたようです。
塾の宿題や勉強をしているということを、やらない理由にしていました。
言い訳だということをご家族は当然理解していました。
子どもの年齢的に親とは話したくない年齢ということも十分に理解していました。
「そのうち子どもから話をしてくる。」ということを期待して、ずっと我慢していたようです。
我々も自分のことだから逃げないでちゃんと話をするように何度も本人に話しました。
しかし、子どもの行動が変わることはなく…11月になりました。
日常の生活をだらしなくしてまで勉強をする必要がないという理由で塾を辞めることになりました。
一応、説明しておくと夜中の3時、4時までやらないと終わらない宿題は出していません。
帰宅後、YouTubeで動画を散々見た後に宿題をやるから寝るのが遅くなったというのが真相です。
しかし、寝る直前にやっていたのは宿題なので「宿題をやっていたから寝るのが遅くなった」という言い訳になったようです。
いずれにしろ塾を辞めたため最後の期末テストは自力で行うことになりました。
【2学期期末テスト結果】
教科 | 英語 | 数学 | 国語 | 理科 | 社会 | 技家 | 音楽 | 体育 | 美術 | 合計 |
点数 | 96 | 92 | 90 | 79 | 80 | 98 | 93 | 78 | 73 | 779 |
1学期に比べて48点落ちました。
点数は落ちましたが、この期間自分なりの誠意を家族に見せたようです。
冬期講習から塾に戻ることが許されました。
塾にいなかったのは、たったの1ヶ月ちょっとです。
塾に来なかった期間も自分で勉強はしていたようです。
しかし、かなり実力が落ちていました。
プロと素人の指導の違いは中3の夏以降は如実に出ます。
中1・2の時期と中3の時期は料理の関係に似ています。
中1・2は下拵えをする時期です。
下拵えが雑だと調理の技術に秀でた人が調理をしても美味しくするのに限界があります。
中3は調理の段階です。
いくら下拵えが完璧でも調理の腕が未熟だと不味くなります。
実際に11月に61.2あった駿台模試の偏差値が12月は46.8になっていました。
受験校決定~入試本番
最終的に塾から提案したのが以下3点
①受験校の全部を早慶付属にするのは全滅の恐れがあるから日程に影響のないところだけ早慶付属を受験する。
②残りの期間でMARCH系列の付属なら合格レベルの力に戻せる可能性が高い。
③都立は内申が39だったので日比谷や戸山は厳しい。得点力はあるから新宿なら合格できる可能性が高い。
こうして受験校が決まり入試も終えました。
日付 | 学校名 | 合否 |
1月17日 | 専修大松戸(E類) | 合格 |
2月6日 | 慶應志木 | 不合格 |
2月9日 | 早稲田本庄 | 不合格 |
2月10日 | 中央大学杉並 | 合格 |
2月11日 | 法政第二 | 合格 |
2月12日 | 明大中野 | 合格 |
2月23日 | 新宿 | 合格 |
12月以降は完全に行動が改善したとは言えない状況だったようですが、我慢ができる程度には家での行動も改善したようです。
勉強も頑張っていました。
それでも早慶付属高の壁は高く…。
残念ながら壁を超えることはできませんでした。
MARCH系列と第一志望であった都立高校に無事に合格することができました。
こうして中学1年生の時の成績を考えれば大成功といえる入試結果で高校受験を終えることができました。
本人の感想(合格体験記より抜粋)
僕は勉強から逃げるように生活していたため最初は塾に行くのが地獄のように思えました。
しかし、東都での授業は学校の授業とは違い丁寧で何よりとても面白かったので段々と東都に行くことが楽しみになっていきました。
二年生の頃は勉強の質が上がり、受験対策の授業も始まり宿題の量がこれまでの比にならないものとなりました。
その宿題の量に圧倒され何回も東都から逃げてしまいたいと思いました。
しかし、心の弱い自分を変えるためにもあらゆるすきま時間を使って勉強しました。すると宿題も早く終わるようになり偏差値も上がっていきました。
何事も継続していくと効果があると学びました。
三年生の頃は、一番大変な時期でした。
今までは授業の内容を理解して覚えるのではなく宿題を終わらせることを目的としてやっていました。
そのため、成績は徐々に伸びなくなり、学校の面談では第一志望の新宿高校は受からないと言われ、家では僕の態度が原因で親と冷戦状態になり落ち着ける時がない状態でした。
そんな僕の様子に気づいた中里先生は授業が終わった後何回も、時には親も交えて面談をして勉強の仕方や子供の責任などを教えてくださりました。
そのおかげで僕の抱えている問題は少しずつ解決していき、成績も上がっていきました。
入試結果を見たときは今までの自分の努力が報われたように思いました。
こんな気持ちになれたのは僕のために遅くまで付き合って全力でサポートしてくれた東都ゼミナールだからこそだと思います。
松江第五中 NS
まとめ
いかがでしたか?
子どもの成績は本人の資質だけではなく環境も大きく影響を与えます。
中学生に上がった時の英語と数学の成績の違い。
その後の中学生活を通しての成績の上がり方をみれば子どもの資質の問題だけではないということが理解でいると思います。
この子どもは努力を継続できる資質を持っていた。
しかし小学生の時に通っていた塾は努力をさせる環境でも継続させようとする環境でもなかった。
成績が上がったポイント
①早い時期から準備を始めた
②塾選びを間違えなかった
この2つが成績UPの大きなポイントです。
選ぶ塾で大きく結果は異なります。
通わせるタイミング、残された時間でも大きく結果は異なります。
イメージ、噂、評判だけではなく自分の目で見て、教室責任者や授業担当者と話して、教室の実績をみて判断して下さい。