「盆栽みたいな子だな。」
この生徒の第一印象です。
しっかりと手入れされて悠々たる美しさはあるものの、人の手がないとその美しさを維持できない。
筋は悪くないけど、線が細く簡単に壊れてしまいそうな男の子でした。
中学準備講座から受講をはじめ3年後に戸山高校・早稲田大学高等学院に合格します。
卒業生のビフォーアフター
偏差値
評定
テスト結果
東都に決めた理由
保護者の悩み
子どもが勉強は学校の勉強だけをすればよいという感覚だったため、高校受験に向けて、どう勉強に取り組むのがよいか。
子供の状況
初回のお母さまとの面談で話した内容は、
・長男が中学生になるから塾を探している。
・小学校のときからサッカーをやっていて、中学生になっても部活で続ける予定。
・小学生時代の自宅学習は、チャレンジをやっていた。だけど、どの程度定着しているかはよくわからない。
・言われたことはやるけど、自分からはなにもしない。
・大学は私大よりも国公立志向なので、都立高校に進学してほしい。
・とくにランクが高い学校を目指しているわけではないので、将来の足かせにならない程度に学力があればいい。
と当時の記録には書いてあります。
東都に決めた理由
【保護者】
・子どもが大手の塾には向かないと思った。
・運動系の部活との両立のため、通いやすい塾がいいと思った。
・合格実績もあり、塾の様子が外から見えて、雰囲気がよさそうだなと思った。
【生徒】
親が選んだ塾だったから
中1
学習状況
実際に授業をやると、生徒のパフォーマンスは、お母さまの話の通りでした。
教えたことは、理解できる。
だけど、言われた作業しかやらない。
ノートの使い方、暗記のやり方など基本的なことは指導しても守らない。
だから宿題はやってくるけど、定着するまでのことはしない。
・単語テストをやっても一回で満点は取れず、毎回ひとつふたつ間違える。
→初めての定期テストでは数学・国語・理科は90点を超えていましたが、暗記が前提となる英語と社会は77点と67点。
・数学も計算方法やノートの使い方が非常に雑なので、問題を解くための考え方の方向性はあっていても計算間違いが非常におおく得点力が低い。
→一昨年度、慶応志木に合格した生徒や前年度に早大学院に合格した生徒と比較すると、偏差値ベースで学力診断テストだと10~15ポイント、駿台模試だと18~26ポイントも低い水準にありました。
定期テストや学力診断テストの結果でみると、この段階では妥当なところで城東、展開次第で小松川は届くかなという水準です。
勉強のやり方には多分に問題がありましたが、学習習慣と試験前と試験中の行動だけは、成績上位層と同じことができていました。
試験前でも部活が休みにならないハードな部活に所属していたのにもかかわらず、勉強をしに毎日塾に来ていたし、試験前になると勉強できる時間は塾で試験勉強をしていました。
だから、いずれ結果はついてくると思っていました。
学校選び
家庭環境としては、リスニングは、塾の授業で扱えないから、朝や夜の数分でいいからやってくれとお願いすれば、即実行。
語彙力が圧倒的に足らないから、現代文の語彙の問題集をやってと言えば、即実行。
ただ本人は無自覚なので成果は微妙でしたが、子どもに気づきを与える仕掛けを継続的に行う家庭だなと感服していました。
そのなかでも1年生から学校見学に行っていたのは、素晴らしかったです。
毎年多くのご家庭に中1から学校見学に行って、保護者と子どもの好みを決めてくれと話しています。
しかし、実際に調べたり、行ったりする家庭は、ほんのわずかです。
このご家庭は「学校見学に行ってください。」と話す前から、学校見学に行っていました。
まだコロナ禍で高校見学は完全に開放されておらず、中1・中2の高校見学は、かなり制限されている時期です。
それでも実際に行って、通学路のイメージや学校の校門や外観を見ることで、高校のイメージを持てるようにしていたようです。
この時期行った高校に日比谷高校や戸山高校がありました。
そのときに、「校門が立派だね。」と親子で話したようです。
ただこれ以降、授業後などの雑談で「勉強を頑張って、校門で写真を撮ろう‼」と、生徒と二人で話していました。
とはいっても、この段階では実現可能性が、かなり低いです。
1年各種テスト結果
定期テスト結果と通知表の評定
学期 | 5科目 | 9科目 | 評定 |
1学期 | 422 | 761 | 35 |
2学期 | 435 | 744 | 34 |
3学期 | 442 | 789 | 35 |
学力診断テスト
実施月 | 3科偏差値 |
4月 | 49 |
5月 | 50 |
6月 | 51 |
7月 | 49 |
8月 | 53 |
9月 | 55 |
10月 | 53 |
11月 | 55 |
12月 | 58 |
1月 | 61 |
2月 | 58 |
駿台模試
実施月 | 3科偏差値 |
6月 | 38.4 |
8月 | 44.5 |
11月 | 47.7 |
1月 | 42.5 |
中2
学習状況
個人的に3年間で最も危機を感じたのは、2年生1学期でした。
時間が経つにつれて部活は、どんどん大変になっている様子でした。
それでも1年生の間は定期テスト・学力診断テスト・駿台模試は大きくとらえれば右肩上がり、授業中のパフォーマンスも悪くありません。
1年生の4月に49だった偏差値は、2年生の4月には65まで上がっていましたし、駿台模試も1年生の6月の38.4が2年生の6月には48.9まで上がっていました。
ところが6月の定期テストで数学・国語が80点を割りました。
副教科も1年3学期は悪くても全科目8割取っていたのに体育は6割でした。
定期テストに連動して、通知表も散々な結果です。
この状況で、2年生1学期の終業式の日、毎日来ていた塾を連絡なく欠席。
休むときや遅れるときはいつも連絡くれるのに、このタイミングで連絡がないということは…。
「どこか別の塾に体験授業に行っちゃったかな~残念だ。」なんて思っていると、翌日は塾に来ました。
前日は、お母さんとケンカになり「塾に行かなくていい!」と言われたから、家で勉強をしていたとのことでした。
たしかに試験結果は、よくありませんでした。
しかし試験勉強のスケジュールや定着度など試験前の仕上がりは、前回テスト以上に自信がありました。
テスト問題と答案を精査すると、入塾当初からの課題に起因するものでした。
注意力の問題か?性格の問題か?技術の問題か?
「わかる!」「できる!」となると、もともと雑な作業がさらに雑になります。
途中式を書かない。
十分に時間はあるのに暗算してまちがえる。
問題文をきちんと読まない。
確実に点数を取るための作業を軽んじます。
だから、模試でも数学の最初の計算問題は、3回中2回は不正解でした。
問題解決のために
・英単語や漢字の確認テストは、1回で満点を取ること。
・学力診断テスト、駿台模試では必ず大問1は正解すること。
そのための勉強方法、解法手順を徹底しました。
試験結果は、普段の取り組みを数値化したものです。
だから、普段から確実にとる経験を積んで普段を変えることに注力しました。
2学期で成績は爆発的に伸びます。
一度も偏差値50を超えたことがなかった駿台模試は55を超えて、定期テストも5科450点の壁を越えたことがなかったのが中間テストでは470点を超えました。
ところが、これが継続できないところが悪いところです。
いい結果が出ると、以前の行動に戻りミスを連発。
3学期の定期テスト・学力診断テスト・駿台模試は、ほぼ1学期と同じ結果で終わりました。
学校選び
2年生の最初の段階では、都立なら新宿高校には通したい。
私立は、ご家族の希望と本人の学力に見合った高校が見つからないとお母さまには話していました。
希望の私立高校が見つからない理由の一つは、通学時間です。
とくにお母さまは通学時間を気にしていて、海浜幕張ですら移動時間が長いとうかがったときは絶望しました。
夏休みなると、新宿高校と小松川高校に学校見学に行ったようです。
しかし
・1学期の成績が散々だったこと。
・新宿高校で、学校見学の案内をしてくれた生徒の当時の換算内申点が56だったいう話を聞いたこと。
お母さまは、江戸川高校や城東高校など中堅校の検討もするようになっていました。
一方、本人は口には出しませんが、「そんな訳ないでしょ?もっと上のレベルにいけるよ。」という様子でした。
このときも「日比谷の校門で写真を撮るぞ!」と話していたので、江戸川高校や城東高校は下げすぎだと生徒は思っていました。
しかし「なぜ内申点が32しかないのに、そんな風に思えるのだろう?この子、大丈夫かな??」とも思っていました。
3学期には、1年時よりも成績が上がったこともあり、数字的な根拠は薄いものの都立は新宿高校、私立はMARCH付属なら合格できると思っていました。
2年各種テスト結果
定期テストの結果と通知表の評定
学期 | 5科 | 9科 | 評定 |
1学期 | 424 | 692 | 32 |
2学期 | 462 | 747 | 36 |
3学期 | 438 | 733 | 35 |
学力診断テスト
実施月 | 3科偏差値 |
4月 | 65 |
5月 | 63 |
6月 | 59 |
7月 | 65 |
8月 | 63 |
9月 | 60 |
10月 | 67 |
11月 | 65 |
12月 | 63 |
1月 | 65 |
2月 | 60 |
駿台模試
実施月 | 3科偏差値 |
6月 | 48.9 |
8月 | 44.5 |
11月 | 47.7 |
1月 | 42.5 |
中3
学習状況と学校選び
1学期
部活と勉強の両立は続きます。
練習・練習試合・大会と時間的にも体力的にもきつい状況のなか勉強も頑張っていました。
4月の模試の結果だと、都立の自校作成校やMARCH付属に合格する成績層と比べると、少し足らない状況でした。
しかし、
だから、部活引退後に勉強時間を増やせれば、逆転できる可能性はあると思っていました。
一方、お母様はどこまで成績が伸びるのかはわからないので、最低値での入試日程も検討していました。
5月の中学校の進路希望調査を出すときに、
・千葉私立高校:専修大松戸
・東京私立高校:國學院、淑徳巣鴨(併願優遇)
・都立:城東
と本人に提案したようです。
ところが、本人は4月の駿台模試の志望校を書く欄に、「早稲田実業」・「市川」・「開成」と書いていました。
ふざけたりボケたりするタイプの生徒ではないので、困惑しました。
お母さまに志望校の変更があったのかを質問すると、なぜその学校を書いたのかはわからないとのこと。
最終的には直前の成績で受験校を決定すると思うとのことだったので、受験校をガチガチに固めて準備するというより、部活と勉強を共存させながらできる限り成績を上げるという方針で3年生の1学期は指導していました。
本当に厳しい日程のなか、1学期の定期テストは過去最高点をとれました。
しかし通知表の評定が大きく上がることはなく、37しかありませんでした。
学校選びのために、1学期は親子で戸山高校・城東高校を見に行っていたようです。
さらに夏の間に、親だけでも学校見学に行きたいとのことだったので、内申ベースだと都立は城東から小松川高校、三田高校あたりがせいぜい。
ただ1学期のテストの点数はよかったので、2学期の成績次第で一気に内申点が上がる可能性もありました。
そこで新宿高校までは受験予定校に提案しました。
2学期
この時期から、生徒自身が、進路を自分のこととして捉えられるようになってきたようです。
学力も徐々に上がっていき、中学の実力テストでは学年1位が取れるようになっていました。
9月の段階では、本命が都立であることと条件にあう私立がないことから、
・私立は千葉入試で専大松戸
・併願優遇で淑徳巣鴨
・最後に合格可能性が比較的高い都立を受験してほしい
とお母さまは話していました。
個人的には、妥当で新宿高校、展開次第で戸山高校までは狙えると思っていました。
しかし、この段階で戸山高校や新宿高校を提案できるだけの客観的な材料はありませんでした。
内申点は、基準に大きく届いていない。
WもぎやVもぎの模試の合格判定は、共通問題の合否判定であれば、かなりの確率で当てはまります。
しかし、自校作成は各学校で出題傾向がちがうので、模試の結果はあまり当てはまりません。
本人の問題との相性を見るには過去問が一番なのですが、9月の段階では取れる科目でも5割程度。
最終的に都立出願を決めるための一番の根拠になるのは、ライバルとの力関係や勝負強さがわかる私立入試の結果しかありませんでした。
たとえば
・専修大松戸が不合格なら、自校作成は受験せず共通問題の学校にする。
・中央大杉並に合格していたら、新宿高校に出願。
・早稲田本庄に合格していたら、青山高校以上に出願。
進学先としての私立ではなく、都立を決めるための私立というコンセプトで受験日程を決めました。
11月の上旬の段階でお母さまからいただいた日程は以下の通り。
日程 | 受験校 |
1月17日、1月18日 | 専修大松戸E類 |
2月10日 | 中央大杉並or国学院 |
2月11日 | 中央大学 |
2月12日 | 明大中野 |
2月13日 | 淑徳巣鴨 |
2月21日 | 戸山or新宿or城東 |
・出願先を決めるため
・出願した都立に合格するためのベースの学力をつけるため
この観点から見ると、問題点が2つ。
ひとつ目の問題は、2月11日の中央大学高校対策は、都立高校対策と逆行すること。
中央大学高校は、明大明治・青山学院と並ぶMARCH付属の中でも最難関のひとつです。
知識メインの問題が多いので、都立高校の対策にはつながりづらい学校です。
そこで早稲田大学高等学院を提案しました。
合格できる状況ではありませんでしたが、
・試験科目に小論文がある。
・知識+思考を問う問題が出題される。
以上の理由から、都立の最難関合格のための対策になると思って提案しました。
ふたつ目は、私立高校の合否をみても、都立高校の出願先を決められないこと。
1月の専修大松戸が不合格なら、ほぼ100%中央大杉並などの合格はないので、新宿高校や戸山高校ではなく小松川高校や上野高校などの共通問題校に出願先を決められます。
しかし、この日程だと戸山高校と新宿高校のどちらに出願するかを決めることができません。
中央大杉並に合格できれば、新宿高校合格の期待値は高くなりますが、戸山高校に合格できるかを判断できません。
一方、早稲田高等学院に合格すれば、戸山高校合格の可能性は高まります。
しかし、早稲田学院の合格発表は2月15日、都立の出願締め切りは2月13日なので合格発表を見てから戸山高校か新宿高校かを決めることができません。
そこで、2月9日に早稲田本庄を提案しました。
この高校は、合格発表が2月12日なので、合否次第で、都立の出願先を決めることができます。
他にも令和になってから、高いレベルの知識と思考力を要求される問題になったので、都立の最難関対策になることも期待できました。
日程 | 受験校 |
1月17日、1月18日 | 専修大松戸E類 |
2月9日 | 早稲田本庄 |
2月10日 | 中央大杉並or国学院 |
2月11日 | 早稲田学院 |
2月12日 | 明大中野 |
2月13日 | 淑徳巣鴨 |
2月21日 | 戸山or新宿or城東 |
2月10日の國學院は、専修大松戸が不合格のときの受け皿です。
専修大松戸が不合格の場合、國學院の合否結果で、共通問題の出願校を決める予定でした。
受験校が決まった11月の学力レベルは、英語だとMARCH系列なら安定的に合格点を取れているものの、早稲田系列になると対応できない。
数学は、難しい問題には対応できない、簡単な問題だと計算ミスが止まらない。
だから、どこの学校をやっても不安定な結果。
国語は一番安定しているものの、他教科の穴を埋めるほどではないという状況です。
このときの実力を考えると、戸山高校に必勝で臨むなら、内申40以上は必須だと考えていました。
2学期末テストが終わり、評定が出ました。
・1学期に88点で『4』だった英語が『5』になるか?
・音楽、体育、美術の『3』が『4』になるか?
この2つが勝負でした。
テストの合計点は、過去最高。
9科合計810点を初めて超えることができました。
英語の定期テストの点数は、中間テストで95点、期末テストで89点。
1,2学期の3回の試験で80点台が2回ありました。
しかし、
・どちらも限りなく90に近い80点代だったこと。
・平均で90点を超えていたこと。
『5』に上がると思っていましたが、実際の評定は、『4』。
実技の点数も3科目が9割を超えました。
1,2学期をトータルで考えると、各科目+1を期待したのですが、評定が上がったのは2科目でした。
最終評定は『39』。
評定40が戸山高校出願の条件のひとつでした。
評定・学力・志望順位を総合的に考えると、新宿高校に出願できる態勢を目指すのが最善だと思っていました。
ところが数日後、本人の意向を尊重して専修大松戸に合格すれば、他の私立の結果に関係なく都立は戸山を受験するとの連絡をお母さまからいただきました。
3学期
12月になると、全教科的に実力が一段上がり、英語・国語は早稲田本庄でも8割前後取れるようになっていました。
都立の過去問は、戸山高校がほぼすべての年度を消化していたので、日比谷高校を扱うようになりました。
戸山高校よりも日比谷高校の方が要求される能力は高いです。
戸山高校合格のために負荷を上げた練習をすることが目的だったのですが、初回から受験者平均を大きく超える点数を連発しました。
年内最終授業が終わったあとに「早稲田本庄も取れているし、これは日比谷もあるね!」というと、本人はまんざらでもない顔をしていました。
「もしかして本当は日比谷受けたいの??」と聞くと、「行けるなら日比谷に行きたい。」と言い出しました。
彼が受験を通じて成し遂げたいことは、戸山高校への進学ではなく、今の自分の最高点への挑戦と達成だったようです。第一志望が、戸山高校と言っていたのは、最高点が戸山高校だと思っていたからでした。
ところが、日比谷高校でも勝負ができることがわかると、日比谷高校挑戦の想いが強くなってきたようです。
往々にして保護者と子どもでは進路の解釈が異なります。
保護者は、高校受験がゴールではないことを知っているので、つぎの環境として高校を選びます。
一方、子どもからしたら高校受験は、中学生活の集大成です。
勉強を頑張ってきた自負がある子どもほど、自分がどこまで通用するのか試したい。
自分がやってきたことの正当性を証明したいと思うようです。
どちらも正しいと思います。
ただ、遅すぎました。
お母さまが日比谷を受験したいと思っていることを知ったのは1月4日。
もう戸山に出願も済んでいるタイミングでした。
学力的にも高得点を取れる年度や科目はありましたが、戸山高校でも合格点に届いていない年度の方が多い状況でした。
しかし問題の相性は、戸山高校よりも日比谷高校の方に適性があるように感じました。
ギリギリまで両方の高校の対策をしながら、日比谷高校の過去問で合格点を大きく超えるなり、早稲田本庄の合格を取るなりして客観的な根拠があれば、日比谷高校への出願差し替えの後押しをするつもりでした。
1月17日、専修大松戸の初日。
試験問題を確認すると、いい集中力で問題を解いた跡がありました。
初めての入試でも、緊張することなく丁寧にやれることをやったことが伝わる問題用紙でした。
ところが翌日の1月18日の試験問題は、いい加減に解いたことがわかる最低な問題用紙。
合格したものの今後に不安の残る結果となりました。
専修大松戸合格の結果、志望順位が低い淑徳巣鴨と明大中野の出願を取りやめて、早稲田本庄・中央大杉並・早稲田学院のみ受験することになりました。
戸山高校と日比谷高校のどちらを受験するかを決めるタイミングです。
決める方法は、
・私立高校の入試結果。
・直近2年分の日比谷高校と戸山高校の過去問の結果。
私立高校の入試結果でも、ある程度都立の結果はわかります。
しかし、私立入試は理社が試験科目にないため、都立の過去問に比べるとやや客観性に劣ります。
だから、できれば直近2年分の結果でしっかりと結果を出して受験校を確定するのが理想でした。
2回の試験の目標点までの結果は、以下の通り。
2022年度 | 2023年度 | |
日比谷高校 | 27点不足 | 1点超過 |
戸山高校 | 8点不足 | 18点不足 |
2023年度の日比谷高校は、目標点より1点多くとれました。
しかし、2022年度も含め、目標点に届かない年度は、基準まで大きな開きがありました。
一方、戸山高校は直近2年分については目標点数には届いていませんでしたが、日比谷高校に比べると必要ラインまではあと少しという水準でした。
この結果では、どちらを選ぶにも決め手に欠けるので、早稲田本庄の合否で判断することになりました。
つまり、早稲田本庄合格なら日比谷高校を受験も検討ということです。
別の問題がありました。
コンセプトは都立の受験校を決めるための私立受験です。もし早稲田本庄に合格できれば、3科については日比谷に合格する力はあります。
しかし、この時期は理社が安定していなかったので、早稲田本庄に合格しても、都立が不合格の可能性は十分にありました。
「もし都立が不合格で、早稲田本庄に受かっていたら通うの?」と本人に聞くと「はい。そのつもりです」と。
短い通学時間がいいと思っているお母さまのことを想うと、埼玉県まで通う早稲田本庄への進学は、期待した形とはあまりにも違います。
早稲田本庄に合格→日比谷高校に出願変更→早稲田学院不合格→日比谷高校不合格→早稲田本庄に進学という展開だけは避けたい形でした。
ただ、おそらくこの展開にはならない可能性が高いとも思っていました。
理由は直近2年の入試で慶応志木に合格した生徒も早稲田学院に合格した生徒も、早稲田本庄は繰り上がり候補だったからです。
もし早稲田本庄に合格すれば、早稲田学院も合格が取れると思っていました。
2月9日、早稲田本庄の試験日。
試験問題を見ると、しっかりと気持ちの入った問題用紙でした。
翌日にも試験が控えていたので、全部を採点する時間はありませんでしたが、一生懸命解いたのがわかる問題用紙でした。
2月10日、中央大杉並の試験日。
試験終了後、翌日の早稲田学院の最終調整を行いました。
早稲田本庄合格、早稲田学院不合格の形は本当に避けないといけない形であること。
そのために早稲田学院は絶対に合格しなければいけないし、合格のために当日やるべきことを確認して送り出しました。
2月12日、早稲田本庄の結果は、不合格でした。
おそらく合格なら日比谷、不合格なら戸山という感じだったのだと思います。
個人的には、早稲田本庄が補欠なら日比谷を押すつもりでした。
しかし、不合格なら戸山というのは迷いがありました。
この時点では、早稲田学院は合否不明、中央大杉並は手続きをしなかったので、都立不合格のときの進学先は専修大松戸になります。
今までの努力を考えると、合格を取るために新宿高校まで下げる可能性もあると思っていました。
実際、新宿高校どころか小松川高校まで下げることも話したようです。
しかし、本人は「いやだ」と言い張ったようで、そのまま戸山高校を受験することになりました。
2月12日以降は、多くの時間を理社の勉強に使いました。
暗記もベースにする科目なので、直前期でも一番上げやすいというのもありますが、戸山高校にしても日比谷高校にしても理社の取りこぼしは不合格に直結します。
もともと理社は高いレベルで点数が取れていました。
ところが、12月辺りから得点率が不安定になります。
必要な知識を忘れたとか必要な知識が足りていないとかではなく…。
問題の解き方が、とにかく雑。
問題の難しい英数国は、ある程度集中して取り組みます。しかし、基本的な出題しかない共通問題だと、解答の根拠が雑でした。
たとえば、社会の航空写真を見て、該当する地図を選ぶ問題があります。
写真の真ん中にある住宅街を根拠に住宅街が中心にある地図を選ぶのですが…。
選んだ解答以外にも住宅街が中心にある地図はあるし、なによりも写真には住宅街よりも目立つ大きい川がふたつもあるのに、解答した地図には川がひとつもないとか…。
ほかにも国語の書き抜きの問題で、まちがえて書き抜いているのを授業担当がみつけたことがありました。
「ちゃんと解答と自分の答案見て、やり直して。」と言うと…。
本当に見ているだけなので、「両手を使って、自分の解答と解答を指さして丸つけするんだよ!」と1月の最終授業で言われていました。
当然、3年間にわたり何度も教えています。知らないわけではないと思うのですが…そういう子なんです。
普通に問題を読み、普通に問題に取り組めれば、合格できるだけのことはしてきたし、合格する力はあると思っています。
しかし、定期テストにしても専修大松戸の入試にしても、上手くできた次のテストは、ほぼ毎回おおきく外してきます。
だから、2月15日の早大学院の合格以降は、よりプレッシャーがかかりました。
一般的に早稲田学院の方が、戸山高校よりも入試難易度は上です。
だから早大学院に合格したのだから、戸山高校にも合格できると本人も家族も考えると思いました。
「家ではどういう話になっているの??もう戸山は合格して当たり前みたいな空気になっている??」と聞くと…。
「いや、そんなことはないですよ。でも、親が戸山を卒業した著名人を調べていました。」と…。
「それ合格すると思ってるじゃん‼もっと危機的状況だと家で話してくれよ!」と話していました。
本人には、「調子にのるなよ!ここからが本番だよ。いいときが二回続いたことはないよ‼」と連日言い聞かせ、満点を取り続ける練習と各科目の戦略を徹底的に叩きこみました。
得点開示の結果、数学は大きくたたいて51点。しかし国語は73点、英語は記述以外パーフェストで84点、社会97点、理科96点でほぼ予定通り取れ高でした。
最後は、本人の力をしっかり出しきった内容だったと思います。
3年各種テスト結果
定期テストの結果と通知表の評定
学期 | 5科 | 9科 | 評定 |
1学期 | 466 | 807 | 37 |
2学期中間 | 474 | – | – |
2学期 | 462 | 827 | 39 |
学力診断テスト偏差値
5科合計 | |
4月 | 64 |
5月 | 65 |
6月 | 67 |
7月 | 66 |
8月 | 70 |
9月 | 70 |
10月 | 67 |
11月 | 64 |
12月 | 67 |
1月 | 63 |
駿台模試
3科合計 | |
4月 | 51.3 |
6月 | 52.6 |
8月 | 53.6 |
9月 | 55 |
10月 | 56.4 |
11月 | 52 |
まとめ
3年間の勉強の中で学力の向上とともに、注意力が上がり視野が広がったかというとそんなことはなく…。
たとえば、
・鞄の中はいつもグチャグチャ。鞄の中の教材を探す姿は、慌てているドラえもん。
・すべての教材、プリントを持ってくるので、過去問をやるころには大容量のリュックサックに加えて、4つの手提げ袋。
・それでも鞄に入りきらない日は、英和辞典を友人に持って帰ってもらう日もありました。
・それだけ重い荷物を積んで走るから、自転車のチューブはダメになりました。
・本人は、こぎづらいと思いながらも乗り続けるので、タイヤまでダメになりました。
・その結果、自転車のチューブを交換した回数は、1年で2回。
これらの例を挙げればきりがありません。
それでも成績を見るとわかるように、出会ったころと比べると大きく成長しました。
要因としては、
・いい意味で鈍感だったので、ストレス耐性が高かったこと。
・筋トレなど自分におこる変化への感度が高く、成長に喜びを感じられること。
・飽くなき向上心。高い自己肯定感という言葉に置き換えられるかもしれません。
どんな状況でも、いつも自分はもっとできると思っているように見えました。
これに加えて2つの要素が大きかったように思います。
まず、中学生になるまでの家庭環境。
新しいことを知るのが好きなので、勉強を嫌なものや苦行として捉えていませんでした。これは、小さいころから本を身近なものにした家庭環境のおかげだと思います。
読書を通じて得た教養や知識は、難関校の英語や国語の文章内容の理解に大きく役立ちました。
「子どもに本を読めと言っているのに本を読まない。」という悩みを聞くことがあります。
そのようなご家庭のリビングの状況を聞くと、子どもに本を読めと言っているのに、親はゲームをしている。子どもに勉強をしろと言っているのに、親はソファーで寝ながらテレビを見ている。
そんな状況で子どもは本を読んだり、勉強したりはきっとしないです。
もうひとつが、日々の積み重ねです。
中1の成績を見ればわかるように、最初から成績優秀者だったわけではありません。
物静かでなんとなく勉強ができそうな雰囲気のある子どもでしたが、1個上や2個上の学年と比べると大きく劣る状況からのスタートでした。
授業記録や保護者連絡の記録を見ると、ほぼ毎月同じような改善点を報告しています。
変化のきっかけになる大きなできごとはありません。
ただ毎日勉強できる時間に勉強を続けていたら、3年後には学年1位を取り、最難関の高校に合格できるまで学力が上がり、受験が終わるころには、勉強が好きだと言っていました。
生物の進化同様、進化は一気に起こるものではなく本当に少しずつ変わっていくようです。
日々の積み重ねが大切なことは、多くの人が本能的に理解していることだと思います。
やらなければいけないことはわかる。
だけど、それがなかなかできない。
東都ゼミナールなら、日々の積み重ねにご協力できるかもしれません。