中1から始めれば結果が変わる‼偏差値29だった子どもが偏差値70の学校に合格した事例

子どもの偏差値はよく分からない。

けど小学校での通知表の成績は悪くなかった。

小学校のテストも70~80点くらいは取っていた。

そんな子どもが中学生になり塾に通うようになりました。

初めて受けた5月の実力テストで取った偏差値が29。

数学と国語の出題範囲はほとんどが小学校の復習範囲。

英語はアルファベットと簡単な単語だけのテストです。

そこから3年かけて偏差値70の学校に合格した事例を紹介します。

このケースは中学受験をせずに中学生になり初めて塾に来る子どもに非常に多いケースです。

決して他人事ではありません。

目次

卒業生のビフォーアフター

偏差値

通知表

定期テスト

東都ゼミナールを選んだ理由

「友達が行っているから自分も同じ塾に行きたい‼」

これが本人の動機です。

保護者の方も最初の面談では「本人が通うというからお願いします。」ということで、志望校もなければ求めたい成績も具体的にはなかった様子でした。

親が東都ゼミナールに決めた理由

①中学生になるというタイミング

②勉強は悪いことではない

③家から近い

④本人も行きたいと言っている。

こうして入学式が終わってすぐのタイミングから体験授業を行い東都ゼミナールに通うことになりました。

プロセス

中学1年生

「とても不器用な子。」

最初の授業での印象です。

教えたことを素直に真似しようとはする。

しかし上手くできない子どもでした。

暗記もまったくできず「自転車」、「リンゴ」、「オレンジ」などのレベルの単語を一週間で20個を覚えるための練習が一日1時間以上。

それでも授業で確認テストを行うと10問前後しか正解できていませんでした。

授業担当の一人は「子どもがサボっている様子はない。取り組む姿勢も悪くない。勉強の方法も指示を守っている。けど、これしかできないとなると…ひょっとすると学習障害かもしれない」ということを疑うくらい全然覚えることができませんでした。

塾に来てから約一ヶ月が経ち初めての実力テスト。

その結果がこれです。

英語偏差値 数学偏差値 国語偏差値 3科偏差値
23 39 34 29

本人は偏差値の意味が分かっていませんでした。

この数字がマズイという意識もありませんでした。

ですから、成績を見てショックを受けることもありませんでした。

当時は実力テストの結果よりも授業内での確認テストで追試になることが嫌だったようです。

理由は「遊ぶ時間が減るから‼」

「確認テストで追試にならないように日々の宿題を頑張る。」ということが勉強のモチベーションでした。

この子どもは伸びる余地があるなと思ったのは、この時の本人の行動です。

動機が何であれ本人としては確認テストで追試になりたくないという目的がありました。塾に来て宿題と確認テストの勉強をするようにアドバイスをすると部活の後や部活がない時は学校の後に毎日来て勉強をしていました。

なぜ学校が終わった後や部活が終わった後にすぐ来るかというと「早く終わらせて遊びたいから‼」です。

最初は単語10個覚えるのに毎日1時間かかっていたのが、30分、10分と縮んでいきました。3カ月もすると暗記のスピードと精度は学年で一番早くなっていました。

覚える時間が早くなるということは帰る時間も早くなるので遊ぶ時間は増えていきました。

成績も順調に伸びていきました。

8月の実力テストでは3カ月で偏差値が20上がりました。

英語偏差値 数学偏差値 国語偏差値 3科偏差値
47 50 51 49

中1の最後の2月のテストでは一番苦手だった英語が3科目で一番高い偏差値を取れるようになりました。

英語偏差値 数学偏差値 国語偏差値 3科偏差値
57 55 54 56

中学2年生

2年生に上がると偏差値55~59の間をウロウロする感じでなかなか60の壁を超えることができない状態が3~4ヶ月続きました。

しかし言われたことは毎日行っていたので近いうちに結果を出す自信はありました。

夏期講習が終わり受験した8月の実力テストで偏差値60を突破することができました。

英語偏差値 数学偏差値 国語偏差値 3科偏差値
59 62 59 61

この頃になると本人に自信がついてきたのだと思います。

遊びたいから勉強をするというモチベーションではなく高校受験のために勉強をするようになってきました。

ただ遊びに興味が無くなった訳ではありませんでした。

勉強はしたほうが良い。

もっと成績を上げるには勉強量を増やす必要がある。

けどゲームもしたい。

その結果、夜にゲームをするようになりました

睡眠時間が短くなります。

そして遅刻はしていませんが昼間はいつも眠い状態が続いていたようです。

学力の向上とともに学校の点数も上がっていきました

しかし授業態度や提出物など学校の先生に評価されることはしない?できない?ため、取っている点数に対して学校からの評価は高くありませんでした。

学校の成績の経過

偏差値と学校のテストの点数は順調に上がっていきました。

しかし通知表の成績はテストの点数に対して評価されていませんでした。

ここでは

①どのように点数が変化していったか?

②なぜ通知表の評価が低かったのか?

上記2点を紹介します。

本来中1の1学期というのは3年間の中で一番点数が取りやすいテストです。

3年間で一番点数が良かったのは中1の1学期という子どもは非常に多いです。

その一番簡単な中学1年生の1学期の成績が下記の表です。

技家 合計
点数 84 88 50 66 53 34 31 52 68 526
評定 3 3 3 3 3 3 2 3 3 26

1学期のテストは5科目で341点。1科目70点平均もない状況です。

実技を入れた9科目になるともっと悲惨な状態で実技の平均点は46.3点。

通知表には「2」もあり、オール3すらない状態でした。

中1の5月の段階では偏差値29の子どもです。この結果も仕様がないです。

次が2年生の学年末のテスト結果と通知表の結果です。

技家 合計
点数 82 93 85 64 87 74 71 80 96 732
評定 3 4 4 3 3 3 3 4 3 30

5科目の合計が411点。平均82.2点です。

9科目でも平均81.3点。

5科目でも実技を入れてもオール4の水準を超えています

しかし現実は「ほぼオール3。」

中1と中2の点数を比べると9科目で206点上がっています。

それでも

ノートの字が汚い。

課題は雑なクオリティーで提出する。

提出すればマシな方で提出物があることを忘れている。

親に学校からの手紙は出さない。

かばんの中はいつもグチャグチャ。

ファイルもあるけどいつもグチャグチャ

これではテストの点数が上がっても通知表の数字が上がることはありません。

中2が終わるまでの2年間。

学校での立ち振る舞い、提出物の管理をずっとしてきました。

かばんの片づけを一緒にやったり、予定表を作り持ち物を書かせたり…。

考えられることはすべてやりました。

しかし提出物の管理もスケジュールの管理も限界があります。

テスト範囲表に書かれていることであれば出来ますが…。

家庭科や美術の課題は授業内で言われるため塾で知ることはできません。

スケジュールの管理も塾のことであればできるようになりました。

しかし学校の細かいことまでは親も塾も把握できないため最後までできるようにはなりませんでした。

学校生活をきちんと送れないということが内申点を上げることができない理由です。

この性格が中3での受験校選びに影響を与えます。

中学3年生

1学期

中学3年生になると基本的な方向性を決めなければいけません。

方向性を決めるためにゴールデンウィークに面談をしました。

保護者の方は本人が行きたいところに行ってくれればよいという姿勢です。

本人は○○高校に行きたいというものはないですが、せっかく勉強も頑張ってきた。

だから、できるだけレベルの高い学校に行きたいということが希望でした。

塾からの3つの提案

1当面は5教科を勉強し私立・都立のどちらを受けたいと思っても対応できる体制を作る。

【理由】

①まだ希望を決めていない状態であれば選択肢を狭めることはしたくないから

2)1学期の通知表が最低でもオール4に迫れないようであれば私立高校にシフト

【理由】

①学力と通知表の成績のズレが大きいので都立高校の受験は不利。

②中3の1学期になっても学校生活での評価を上げられないのであれば本人の性格だと思い諦めた方が良い。

③2学期だけで全教科の評価を一気に上げるのは無理

(3)私立は大学付属を中心に受験をする

【理由】

①公立高校は良くも悪くも中学校の延長です。子どものだらしなさも個性として受け入れられる土壌がないと高校生になっても中学生活の繰り返しになる。

②大学付属に進むことで内部進学ができる程度の勉強をすれば大学に進学できる。

③公立高校では養うことができない人間力を磨く時間を確保したほうが将来は開ける可能性が高い。

④高校生になったら今以上に親のいうことを聞かなくなる。塾に行かなくなったら今の成績を維持できる可能性が低い。

このように提案をして面談が終わり、1カ月後にテストがありました。

1学期のテスト結果と通知表の結果。

技家 合計
点数 95 88 91 67 86 69 81 68 96 741
評定 4 3 5 3 4 3 3 3 3 31

点数は2年生の学年末の時よりも上げることができました

しかし評定は「1」しか上げることができませんでした。

テストの点数だけであれば英語、数学、音楽、美術はもう1段階上の評価をもらってもよい水準です。

この段階で都立高校や推薦入試には見切りをつけて私立高校への一般入試一本にしました。

2学期

私立の大学付属をターゲットに決めたので理社を除く英・数・国中心の勉強に変わりました。

科目数が減ると楽になる印象がありますが、私立と都立では求められる知識の量が違います。

たとえば英文法一つとっても私立高校の入試問題は高校生になってから習う範囲が出題されます。

数学もメネラウスの定理やチェバの定理など高校で習うことを知っていた方が早く解ける問題がたくさん出題されます。

過去問を比べれば一目でわかると思いますが最初の計算問題からレベルが違います。

国語は都立入試でも漢検準2レベルの「読み」は出題されますが私立高校の場合、「書き」も出題されます。

古文も高校1年生レベル程度のことを勉強していた方が有利な学校が多いです。

つまり私立の難関校を受験するということは都立の上位校に進学するよりも勉強量は多くなります。

学校生活はとにかくダラシナイ子どもでしたが、塾の勉強は頑張りました。

平日は学校が終わったら16:00頃~23:00頃まで塾で宿題と授業。

土曜日の午前中は家で宿題を行い、14:00~18:00まで授業。

その後、23:00まで塾で宿題。

日曜日の午前中は模試か過去問。午後は午前中にやった問題の直し。

一日も休まず続けました。

3学期

(1)入試日程が決まるまで

いよいよ入試です。

2学期の段階で最初に提案した受験スケジュールは以下の通り。

日付 高校名 偏差値
1月17日 専修大松戸 70
2月6日 慶應志木 75
2月9日 早稲田本庄 74
2月10日 中央大学杉並 69
2月11日 中央大学 69
2月12日 明治大学中野 67

この入試プランを提案した時は保護者の方に反対されました。

理由は「うちの子どもがこんなに頭の良い学校に受かるわけがない‼安全な学校を入れてくれ。」ということでした。

我々は早稲田・慶應はやや厳しい。

中央大学、中央大学杉並、明治大学中野、専修大学松戸は合格できる可能性が高いと思っていました。

「それなりの学校数を受験するのでどこかにひっかかりますよ。」と説明しても不安は消えません。

そこで2点追加提案しました。

①1月25日に独協埼玉(偏差値65)を受験する

②1月の専修大松戸と独協埼玉が不合格だったら2月の受験校はすべて変更する。

こうして1月25日に独協埼玉をいれた受験校リストが完成しました。

日付 高校名 偏差値
1月17日 専修大松戸 70
1月25日 独協埼玉 65
2月6日 慶應志木 75
2月9日 早稲田本庄 74
2月10日 中央大学杉並 69
2月11日 中央大学 69
2月12日 明治大学中野 67

(2)入試本番

実はこの子どもは試験を受ける時のメンタルの調整が難しい子どもでした。

定期テストでは一生懸命勉強したテスト科目ほど自信過剰になり問題をよく読まずに解いて間違えるという傾向がありました。

また駿台などの外部模試を受験に行くと緊張しすぎて頭の中が真っ白になってしまい自分でも何をしたか覚えていないということもありました。

テスト前のコンディション作りは大変悩みました。

あくまで本命は慶應志木と早稲田本庄。

そこをピークに持っていくために子どものギアをトップに入れたくない。

しかしいい加減なことをされて1月に実施される学校が不合格の場合、そもそも2月に予定していた本命の学校が受験できない。

悩んだ末、まずはここを合格出来ないと次がないと思い試験の前日は子どものテンションを思いっきり上げました。

「まずはここをしっかりと取ろう‼そして本命を受験するための挑戦権を得よう‼」と言って試験に送り出しました。

試験当日、解いてきた問題用紙を見ると過去一番のクオリティーでした。

非常に落ち着いて、自分のできることをしっかりとやっていました。

試験結果は合格‼その後の独協埼玉も合格しました。

こうして2月の受験校のスケジュールは変更すること必要がなくなりました。

しかし結果としてこれがよくありませんでした。

1月に連戦連勝したことにより子どもの緊張感が完全になくなりました。

そして合格できたという自信は慢心に変わりました。

2月9日の早稲田本庄。

本人が持ち帰った問題用紙を確認した時に愕然としました。

いつもなら解ける問題が解けていない。

解く手順も守れていない。

きちんと問題文も読んでいない。

このことを本人に話すと話を聞いてはいましたが真剣に受け止めているという印象はありませんでした。

完全に悪いクセが出ていました。

しかし、それを矯正するきっかけがありませんでした。

その理由は合格発表に日程にあります。

2月受験校の合格発表日を表にしました。

高校名 合格発表日
慶應志木 2月11日
早稲田本庄 2月12日
中央大学杉並 2月11日
中央大学 2月12日
明治大学中野 2月13日

たとえば2月6日の慶應志木の発表が2月7日であれば、不合格の結果を見て本人が反省するきっかけを作ることができます。

しかし一番早く結果がある日が2月11日です。

この日は朝から夕方まで中央大学の試験を受けるために入試会場にいるので子どもは入試の結果を知りません。

子どもが2月6日~10日までの試験結果を知ることができるのは2月11日の夕方。

最後の受験校である明治大学中野の受験日前日です。

予想通り慶應志木と中央大学杉並が不合格でした。

本人としては中央大学杉並が落ちたことは予想外だったようです。

塾に来たときは顔が青ざめていました。

そこで明治大学中野受験の前日の夜にもう一度面談をしました。

翌日に発表がある中央大学と早稲田本庄も最近のテストの受け方では不合格だと思うと伝えました。

残されている学校は一つ。明治大学中野だけ。

「1月のようにテストを受けることができればきっと合格できる。その力がお前にはある。3年間頑張ってきたことをきっちり合格という形で証明してこい‼」

そういって送り出しました。

本人もやっと自分に慢心があったことを受け入れたようでした。

結果は見事合格‼

こうしてMARCH系列付属に無事合格することができました。

子どもの感想(合格体験記)

僕は、東都ゼミナールに入る前は、身の回りの事が出来ないと自分でも分かっていました。

例えば、塾からもらったプリントの整理や考えて行動するという勉強以前のことです。

そのことを塾に入って改めて実感しました。

塾に入って、最初の頃は勉強がきつく感じ、なるべく塾に居たくありませんでした。

しかし、中途半端なままの宿題で帰る訳にもいかず、居残りで暗記や課題プリントに取組みました。

それを仕上げるまで先生がついて面倒を見てくれたおかげで頑張ることが出来、テストの点数も跳ね上がり、この時初めて勉強が楽しいを感じました。

中2になると、上位クラスになり「こんな僕が難しい高校を受けるのか」と思いました。

実際、塾で受けるテストもあまり良い点数が取れなくて、これで大丈夫なのかと何度も思っていました。

中3になり過去問を解くようになると、最初の頃はあまり良い点数が取れなかったのですが、先生達が諦めずに教えてくれたおかげで、徐々に点数も上がってきて、自分もやる気が出てきました。

受験が終わった今思うことは、先生たちのおかげで、塾に入った最初の頃よりは、自分に厳しく出来るようになれたのかなと思います。

受験が終わって良い高校に入ることが出来て、今までこの塾に通って色々な辛い経験しました。

けれど、その辛い経験は僕にとって大きな「財産」だと思えるようになりました。

この塾に入ったおかげで、こんなに駄目な僕が良い高校に入れたし、僕自身も大きく成長できたと思います。

そしてなにより、これから先苦しいことがあってもたいていの事は続けていけるなと思えるようになりました。

松江第五中学校 林 悠太佳

まとめ

いかがでしたか?

この子どもの場合、成績が上がるきっかけは友人の紹介でした。

なにか想いや考えがあって塾を選んだわけではありません。

色々な偶然が重なって、東都ゼミナールに通うようになり、成績を上げるきっかけを作ることができました。

この子どもの性格や置かれていた状況は決して珍しいパターンではありません。

おそらく多くのご家庭の子どもに当てはまるケースだと思います。

過ぎた時間を取り戻すことはできません。

一日でも早く始めて、一日でも多く継続した子どもが一番多くの成果を掴んでいます。

その子どもに合うか?合わないか?ということもあります。

まずはお話を聞かせください。

そして体験授業を受けてみてください。

東都ゼミナールはきっとお役に立つことができます。

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